人魚の眠る家を観て脳死について考えてみた その2

前回、人魚の眠る家を観てから嫁さんと映画の事や家族の脳死についての
話しをはじめて真剣に話すことが出来た。

普通に考えればめったにない事なんだろうけど、
職場のアルバイトの学生が原付で事故り、現在
ICUで治療中で退院が未定でわからないので
当分の間、アルバイトを当分休ませて欲しいと
親御さんが電話ではなく、わざわざ来社して伝
えてくれた。

事故は一昨日で、事故をした本人の意識あるとの事
だか、詳しい状況については、医師から説明を受け
ていない状況という事だった・・・

半帽(頭だけ被ったヘルメット)でバイクに乗って
いて、単独かそうではないのかはまだわからないん
だけど、頭蓋骨骨折と何ケ所か骨折しているらしい
・・・

脳を強打しているので、時間が経過してから状況が
変わることもあるので、医師もすぐには大丈夫とは
言えないのかもしれない。

そんな不幸な状況が身近におこって、余計に考えさ
せられた。

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実際に子供が脳死状態になった場合、看護できるのだろうか?

凄く難しいと自分は思う。
理想と現実のギャップが生じると自分は考えている。

何故なら、お金(医療費)の問題が大きくかかわっ
てくるから・・・
これは老人の介護問題と同じだと思う。
老人ホームが高額の為に自宅介護を背ざる負えない
のと同じ様に、病院での完全看護はよほど裕福な金
銭状況でないと出来ない。

ましてや自宅看護となると、痰のつまりや温度管理
から栄養の補給から下の世話までを実質、一人で看
なくてはならない。
そうなると、必然的に嫁さんが日常のほとんどを看
護しなければならない為に、仕事をしていたのなら
、辞めて看なくてはならなくなるだろう。

そうなると、嫁さんの体力・精神力を看護にほとん
ど使ってしまい、今度は嫁さんが体調を崩す事にな
るおそれがある。

まさに本末転倒・・・

それでも、自分のお腹を痛めて産んだ子供の母であ
る嫁さん自身は即決で看護を選ぶだろう。

それは母親であれば、みんな同じ気持ちだと思う。
いつかは意識が戻るのではないか!という思いを込
めて・・・

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臓器提供の選択はあるのか?

では、脳死を死と受け入れて臓器提供の為の脳死判
定を受けられるか?

正直、自分達夫婦の考えでは脳死判定をし、脳死が
判明したら臓器提供をすぐに行うという行動には無
理という考えで自分達夫婦は一致した・・・

やはりわが子の心臓が機械で動いているとしても、
心臓が動いている限り死は受け入れられなかった。

臓器移植を心待ちにしている患者さんが多くいるの
はわかっていても、やっぱり自分たちの心のどこか
で拒否している感じだった。

自分たち夫婦の考えでは、脳死=死とは受け入れられなかった

映画 人魚の眠る家 でもそうだったけど、自分た
ち夫婦も子供が急に意識を失い、医師から脳死状態
言われた場合には、やっぱり受け入れられなだろう
し、心臓が動いていて体が温かいというのに、
脳死=死とはやっぱり受け入れられていないという
ことがわかった。

まとめ

映画 人魚の眠る家を観て、脳死について嫁さんと
はじめて真剣に話す事が出来て、良かったと思って
る。

こういう機会でも無ければ子供の死に対しや脳死
の問題について夫婦で話す事なんてなかっただろ
うし、お互いの考えもわからなかったと思う。

自分たちの結論としては、割り切れられていない
けど、真剣に腹を割って話す機会ができて、夫婦
としての絆というか、思いは深まってすごく良い
機会だったと思う。

皆さんも、これを機会に夫婦でいろんな話しをし
てみてはいかがでしょうか。

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